皆さん、こんにちは!
よりそいクリニック院長の森岡 貴勢(もりおか たかせい)です。
当クリニックは兵庫区、長田区、中央区、須磨区の地域を中心に半径16km圏内で定期的に訪問診療を行なっています。
前回の記事では、私が薬剤師から医師を目指すことになったきっかけについてお話しました。今回は、救急医として命と向き合った日々、そして離島での挫折経験についてお話したいと思います。
ERドラマに憧れて、医師の道へ
アメリカ留学中、私はあるERドラマに衝撃を受けました。それは、救命救急を舞台にした「ER緊急救命室」というドラマでした。
主人公の医師が、目の前の患者さんを救うために、全力で奔走する姿を見て、「自分もこんな医師になりたい!」と強く思うようになりました。
こうして、私は日本に帰国後、医学部編入試験に挑戦することを決意しました。
救急医として、命と向き合う日々
医学部卒業後、私は大阪の救命救急センターで、救急医として勤務することになりました。
そこでは、外傷患者、薬物中毒、暴力事件、さらにはECMO(人工心肺)が必要な重症患者まで、様々な患者さんを目の当たりにしました。
毎日が緊迫した状況で、患者さんの命を救うために、スタッフ一丸となって治療にあたる日々でした。
また、災害医療にも携わり、熊本震災にDMATとして参加した経験は、私にとって貴重な経験となりました。
離島での挫折経験
救急医として経験を積んだ後、私は長崎県の離島の病院で働くことになりました。
離島医療は、私が想像していたよりも大変なものでした。慢性疾患から重症患者まで、内科・外科問わず、あらゆる患者に対応する必要があり、自分自身の知識と経験不足から大きなプレッシャーを感じながら日々の診療を行っていました。
また、地域の方々にうまく受け入れてもらえず、辛い思いをすることも多々ありました。精神的なストレスから顔面麻痺を発症したことは、今でも忘れられない経験です。
この経験を通して、医療は単に病気を治すだけでなく、患者さんの生活や価値観に寄り添うことが大切だと、改めて痛感しました。
次回は、私が地域医療に転換するきっかけとなった高知の大栃診療所での経験について、詳しくお話したいと思います。
お楽しみに!